PHP 平成29年11月号<ヒューマン・ドキュメント>志賀内泰弘「急ぎ利を求めず、木曽ひのきを活かす」

志賀内泰弘「急ぎ利を求めず、木曽ひのきを活かす」(PHP平成29年11月号)

<ヒューマン・ドキュメント>
木曽ひのきの材木商 柴原薫さん(南木曽木材産業(株)代表取締役)
取材・文:志賀内泰弘
※本編より一部を抜粋してご紹介いたします。

*   *   *   *

◆父親から引き継いだ会社で、もがき苦しむ

1960年生まれの柴原さんは、大学卒業後、
父親の反対を押し切り林業の道に入った。

小学生の頃から、「家の手伝い」と称して
山林の下草刈りをさせられてきた。
夏には一週間も続けると、大人でも身体が火照って
動けなくなるほどの重労働だ。
それすら当たり前の生活をしてきたので、
山は身近で親しみのある存在だった。

父親は投機師でもあり、木材の相場を読む天才だった。
電話一本で木材を売買し大儲けしていた。
それを間近で見ていた息子としては、
「後を継ぐなんて楽勝だな」と思ったという。

ところが、2006年に社長を継ぎ、
それが妄想だったということにすぐに気付く。
想像を遥かに超えて、日本の林業はピンチに立たされていた。
全国の同業者は、次々に倒産。
ある山林地域では、最盛期598社あったものが、たった3社になっていた。
人件費が高騰し、輸入材に太刀打ちできない。会社の帳簿を見て愕然とした。

加えて、父親との確執に心を押し潰されそうになる。
社長就任後も、社員は、天才と呼ばれた会長である父親の方を向いて仕事をしている。
ある日、社員に指示を出した。出張して会社に戻ると、その指示がひっくり返っていた。
留守中に、会長が来て異なる指示を出したのだ。
それは、柴原さんがいくら抗っても、どうすることもできなかったという。

「なんとかしなければ」と悩みに悩んだ。もがき苦しんだ。そのあげく・・・。
「辛い。このまま死ねるかな・・・」

今でも、筆者は覚えている。ある晩、柴原さんから一通のメールが届いた。
「辛い。今、中央自動車道路の○○を走っている途中のサービスエリア。
 このままガードレールに突っ込んだら、死ねるかな・・・」
慌てて電話をかけるも繋がらない。
翌日、連絡が取れ、「大丈夫?」と尋ねると、
笑って「大丈夫、大丈夫」と答えた。

当時、身体に変調をきたしていることを聞いていた。
十二指腸潰瘍、偏頭痛、無呼吸症候群・・・、
今から思うに、ストレスが極限となり身体が悲鳴を上げていたのだろう。

そんな時、柴原さんは運命の出逢いをする。
イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんだ。
悩みを打ち明けると、思わぬ厳しい答えが返ってきた。

「唾面自乾。たとえ顔に唾をかけられても、
 拭ったりしないで自然に乾くまで我慢しなさい。
 後継者は、耐え忍ぶことが大切です」

唖然とした。こんなに苦しいのに、ただ耐えよという。
しかし、その一言で覚悟ができた。
それまで、安楽な道を模索し、辛さから逃げようと考えていた。
これからは、真正面に向き合おう。
そして、目先の利益を求めない。
あえて「遠回り」をして歩こうと。

◆もがいて、もがいて、全国を飛び回る

社長を引き継いだ重圧、林業全体の抱える苦難、
さらに「この国をなんとかしなければ」という熱い思いに突き動かされ、
無我夢中で東奔西走してきた。

ある時、ハンバーガーチェーンの本部から、飲み物のタンブラーを作れないかと相談があった。
今までプラスチック製のものを木製に変えたいという。
それはエコを推進する企業イメージに役立つという戦略の一つだった。
1日100万本作って欲しいという。それが実現すれば、間伐材の活用に大いに貢献できる。

だが、結局、価格の面でとうてい折り合わないことがわかった。
先方の希望価格は1本1円。こちらのギリギリの提案価格が5円。
この「価格の壁」が存在する限り、国内産の普及には限界があるのだと悟った。

でも、でも、どこかに突破口があるはず。何か良いアイデアがあるのではないか。
柴原さんは思った。それなら、「ひのきの商品価値を高めればいい」と。
数々の勉強会に参加した。
有名無名にかかわらず「この人は」という人物がいると、
教えを乞いに日本全国を駆け回った。
その結果、洋風まな板や蒸籠(せいろ)などヒット商品を生み出した。

だが、すぐに海外の安い材料で真似され、売れなくなる。
それでも、また次々と新商品の開発に挑んできた。イタチゴッコだ。

「宇宙ステーションにひのきの団扇を持っていっても、
 その団扇が売れるわけではないことは承知しています。
 ただ、日本に、こんなに素晴らしい木があることを知ってもらいたい。
 認知してもらいたい。その次に、日本の国土を守るために、間伐が必要になること。
 さらに、間伐をするために、少々高くてもいいから
 日本製の木材を使おうと言う機運を起こしたいのです。
 まずは注目してもらうことが肝心。いわば、啓蒙活動ですね」

「売る」ことよりもまず、日本人の心のベクトルを山に向けてもらおうというのだ。

◆すぐに結果を求めない生き方

柴原さんは、「唾面自乾」をこう受け取った。すぐに結果を求めるのは止めよう。
自らの困難に耐えに耐え、我欲を断ち、この日本の山々を50年、100年と
守り育てることに命を懸けよう。利益はきっと後からついてくる。
時代が変わっても、守り通さなければならないことがある。
それを守り続けると、ある時、突然目の前が開け方向を変えられる日が来る。
茶道や剣道の修業の教え「守・破・離」を信じ、柴原さんは歩き続けてきた。

「林業の理解者・応援者が少しずつ増えてきました。
 それが若田光一さんや養老孟司さんなどです。
 あいにく、出雲大社の神殿復元のアイデアは保留になっていますが、
 まだ諦めてはいません。知恵と工夫によってなんとかなるのではないかと。
 おかげさまで、社業の方は神社仏閣を中心にした受注で安定しています。
 明治神宮の神楽殿や第三鳥居、岩国市の錦帯橋や愛媛県の大洲城の復元など
 大きな請け負いもさせていただきました。
 釘やボンドを一切使用しない無垢の国産材で造った千葉県の『風の谷保育園』は、
 見学者が絶えません。価格に左右されない「本物」を求める方々からご支持いただいているのです」

「本物」を理解する人たちと、少しずつ心が繋がるようになった。
とはいうものの、柴原さんの行く先は茨の道だ。
大多数の人たちは、「安い物」を選択する。
柴原さんに、鍵山秀三郎さんはもう一つ、こんな言葉も授けられたという。

「10年は偉大なり。20年は畏るべし。30年は歴史なり。50年は神の如し」

「目先のことに囚われず、急ぎ利を求めず、
 木曽の地で根を深く張っていきたいと思います」
と穏やかに笑う柴原さんが、木曽の山のように大きく見えた。

出典:「急ぎ利を求めず、木曽ひのきを活かす」(PHP平成29年11月号)

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